QLOOKアクセス解析

退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

宇都宮釣天井事件 

 古本屋で買ってきた杉本苑子さんの「汚名」という小説を読みました。題材は宇都宮釣天井(うつのみやつりてんじょう)事件です。宇都宮釣天井事件は、名前くらいはお聞きになったことがある方も多いかもしれません。というわけで、今日はその釣天井事件の話を。

 登場人物は江戸幕府初期の実力者本多正純(ほんだまさずみ)。正純は駿府の大御所徳川家康の側近として絶大なる力を持っていました。正純と父正信は、政敵大久保忠隣を失脚させるなど、幕府内に強い影響力を持っていました。でもそのぶん敵も多かったでしょうね。

 1619年、福島正則の改易後、正純は、亡き家康の遺命であるとして、奥平忠昌を下野宇都宮藩10万石から下総古河藩11万石へ移封させ、自分自身は宇都宮15万5000石の藩主となります。この奥平忠昌の祖母にあたる加納御前という女性がいまして、この方は家康の娘です。この移封に関して、加納御前のすさまじい怒りを買うこととなります。奥平忠昌は幼少の藩主です。北へのかなめ宇都宮に幼少の藩主では心もとないとということで、移封となったのですが…

 1622年、正純は、秀忠が家康の七回忌に日光東照宮を参拝する際、その前後に宇都宮城に1泊する予定であったため、城の普請や御成り御殿の造営を行わせました。しかしその際、先の加納御前(秀忠にとっては姉)から「宇都宮城の普請に不備がある」という密訴がありました。秀忠は「御台所が病気である」という知らせが来たとして、予定を変更して帰りは宇都宮城に泊まらず、急遽江戸城へ戻りました。

 同年山形藩最上家の改易に際して、正純は上使として山形城受取りのため山形城にむかいました。ところがその場で、秀忠は、鉄砲の秘密製造や宇都宮城の本丸石垣の無断修理、さらには宇都宮城の将軍の寝所となる部屋に釣天井を仕掛け、秀忠を圧死させようと画策したなどの罪状を正純へ突きつけました。そののち正純の所領は召し上げ、ただ、先代正信からの忠義に免じて出羽国に5万5000石を与えるとしました。

 しかし、言われたことに身に覚えのない正純は、その5万5000石を固辞しました。秀忠はその態度に対し怒り、本多家は改易、正純は佐竹義宣に預けられ、出羽国への流罪となりました。1637年、正純は73歳で亡くなるまでその横手城で寂しく生涯を終えたそうです。

 正純謀反は本当なのか?釣天井に関わった大工が恋人に話をし、そこから釣天井の話がもれたとか言われていますが、正純謀反の証拠はないようです。正純の存在を疎ましく思っていた土井利勝らの謀略であったのではないか、また加納御前の恨みによるものとも言われています。

 また、秀忠自身も、父家康の代から幕閣中心にいて、自らの意のままにならない正純を疎ましく思っていたという説もあります。

 本日もコメント欄は閉じさせていただきます。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
いつも応援ありがとうございます。更新の励みになります。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

[edit]

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。