QLOOKアクセス解析

退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

出島  

初期の外交

 今日は、江戸時代初期の外交のスライドの紹介です。
 
 こちらにアクセスし、初期の外交のところをクリックしてください。

 この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。ダウンロードはこちらから。

 今日は長崎の出島についてです。
 1634年、出島築造に着手します。1634年、幕府はキリスト教の広がりを防ぐことを目的として、長崎の町に住むポルトガル人を一か所に集めるため、出島の築造を命じました。出島は、人工的に作られた島で、面積15,000㎡の扇形の島でした。

 出島に関しては、江戸へ帰る途中の長崎奉行が、オランダ商館長に「オランダ人が日本で役に立つ十分な品物を持ってくるようになれば、もはやポルトガル人は日本にくることは許されないだろう。なぜなら彼らは、宣教師と悪人どもを通じて、その宗教をひろめることをやめないからで、我々はポルトガル人をもっとよく抑えるために牢獄のような島を作った」と語ったそうです。

 出島は、1636年に「出島町人」と呼ばれる25人の町人の出資によって完成しました。

 1641年、幕府は、キリスト教禁令とポルトガル人追放を徹底するために、宣教師の潜入やポルトガル人などに関する情報提供をオランダ人に義務づけました。これはオランダ人が日本渡航を許可されるための重要な条件の一つとされました。オランダ船が入港すると、通詞は商館長を訪れて情報を聞き取り、翻訳し、通詞と商館長が署名捺印して長崎奉行が江戸に送ったといわれています。この文書が風説書です。

 出島に滞在したオランダ人は、18世紀まではオランダ東インド会社の社員だったそうです。船が来航していない期間は、商館長他15人ほどが勤務していました。商館長は、全部で163人。滞在期間は1年となっていましたが、14年も滞在した商館長もいたそうです。

 
 本日も出かけておりますので、コメント欄は閉じさせていただきます。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
いつも応援ありがとうございます。更新の励みになります。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

[edit]

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。