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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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五大老なのに六人 

秀吉

 今日は豊臣秀吉のスライドの紹介です。

 こちらにアクセスし、豊臣秀吉のところをクリックしてください。お手数をおかけします。

 この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。ダウンロードはこちらから。

 今日は、五奉行・五大老について。
 五奉行・五大老は秀吉政権で、秀吉を支えた人々といえばよいでしょうか。
 まずは五奉行から。五奉行とは秀吉の子飼の大名たちすなわち秀吉の腹心の部下で、浅野長政(あさのながまさ)(司法担当)、増田長盛(ましたながもり)(土木担当)、石田三成(いしだみつなり)(行政担当)、前田玄以(まえだげんい)(宗教担当)、長束正家(なつかまさいえ)(財政担当)の五人をさします。当時は五奉行という言い方はせず、年寄などと呼ばれていたようです。豊臣政権では他に大谷吉継や小西行長はじめ多くの奉行がおり、その中でも特に重要な活躍をした5名が五奉行と呼ばれるようになったみたいです。

 それに対し、五大老とは政策顧問とでも言いましょうか。秀吉のライバルともいうべき有力大名、徳川家康(とくがわいえやす)、前田利家(まえだとしいえ)、毛利輝元(もうりてるもと)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)、宇喜多秀家(うきたひでいえ)、上杉景勝(うえすぎかげかつ)をさします。秀吉の息子豊臣秀頼を五大老が補佐し、合議制をとることによって徳川家康の台頭を防ごうと考えてのことです。将来豊臣家と覇権を争うことになるだろう家康を大老として取り込んでしまうことにより、秀頼政権を守ろうと考えたようす。しかし、秀吉の死後、徳川家康は伏見城にて事実上の政務を開始し、五奉行の職権を奪うようになり、家康と五奉行(石田三成を中心として)の対立がおこり、これが関ヶ原の戦へと発展します。

 上杉景勝は小早川隆景が死去するまでは、連署に署名している場合とそうでない場合があります。地位が固定されるのは小早川隆景死後からです。この中でも特に徳川家康は特段の地位を保持し続けていたようです。こちらも当時は五大老という言い方はしなかったようですが。

 生徒たちにとっては、覚えにくい五奉行・五大老。なんで五大老なのに六人?五奉行の担当分野まで覚えなくてはいけないの?など。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
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いつも感心するのですが
わかりやすい解説ですね。

現職のYUMI先生は人気があったでしょうね。
そして、関ヶ原の戦へですね。

いまの関ヶ原古戦場跡はイチゴ農園があり、
イメージとしてはイチゴ狩りの本場でしょうか。

coffee break #- | URL | 2013/03/27 08:11 * edit *

学生時代に
一度は見てみたくって
関ヶ原古戦場に行きました。

思いのほか
狭い場所なのでビックリしました。

よっちん #WeUJiN46 | URL | 2013/03/27 08:15 * edit *

coffee breakさんへ

coffee breakさん、こんにちは。
ありがとうございます。
最初に赴任した学校が進学校ではありませんでしたから、どうわかりやすく説明するかは、鍛えられたかなー。

関ヶ原はイチゴ狩りですか?(@_@。

秀吉が、まだまだ話すこといっぱいあるので、関ヶ原はまだまだ先でーす。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 10:27 * edit *

よっちんさんへ

よっちんさん、こんにちは。
関ヶ原って、すごく広いイメージがありますよね。
ホント行ってみなければわからないところって多いです。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 10:30 * edit *

ちょっと長雨ですね。

YUMIさま^^こんにちは~♪

もう、歴史おんちとなって何十年でして、
ほんとうにはずかしい限りです。
ピンポイントではあやふやですが少し、
一番大切な、流れというものを知りません。
ですのに、フシギが気になるやっかいものです。

解説がとても魅力的です。
YUMIさまのお部屋でこれからお勉強させていただきます~♪
きょうも、ありがとうございました。。。

紗真紗 #- | URL | 2013/03/27 12:07 * edit *

紗真紗さんへ

紗真紗さん、こんにちは。
ホント今週はお天気がイマイチで、つまらないです。
歴史はけっこう不思議がいっぱいあって、面白いかなと思います。
人によって好きな時代がちがいますから、このへんがお好きかどうかわかりませんが。
こちらで楽しんでいただければ、うれしいです。
解説を褒めていただいて、うれしいです。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 13:17 * edit *

こんにちは

忘れていたことを思い出させてくれる
丁寧な解説ですね☆
でも、このあたりはうっすらとしか覚えていません^^;
勉強します〜

今日の大阪は、曇りで肌寒く
桜もまだまだ、開きそうにありません^^;

HANAMIZUママ #OGPSQbQg | URL | 2013/03/27 13:47 * edit *

YUMIさんこんばんは~~♪
豊臣政権の五大老・五奉行の詳しいことまで覚えさせられたら大変ですね^^
私は高校は選択科目だったので、世界史を選択してて助かりました(;^_^A アセアセ
その代り大学で嫌というほどやらされました(;^ω^)

今日は肌寒い雨模様の一日になってしまい、いまだストーブ生活です。

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2013/03/27 18:00 * edit *

HANAMIZUママさんへ

HANAMIZUママさん、こんばんは。
ふつう忘れていますよね、こんなところ。
まあ、絶対授業ではやっているでしょうが。
いやいや、こんなところは勉強しなくても(*^^)v

こっちも今日は雨で寒い。
桜が散らないか心配です。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 19:43 * edit *

まり姫さんへ

まり姫さん、こんばんは。
えー、まり姫さん、高校の時は世界史選択だったの?
それじゃ、世界史は絶対に私より詳しいわ(-_-;)

こっちも今日は寒かった。
冬に逆戻り。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 19:45 * edit *

日本の国がひとつになるにしたがって
所帯が大きくなっていきますね。
どの人物もきっとこの時点では
いずれ、わしが、と思っていたに違いありません。
秀吉もおちおち死んでいられない気分だったでしょうね……
なんかかわいそうな気がします(笑)。

takae h #A5.soH/6 | URL | 2013/03/27 21:37 * edit *

う〜む、よくよく整理してみるとこういうことですか。
ちょっと曖昧な憶え方をしていたようです。とても勉強になります。

ディック #22hNL7Yc | URL | 2013/03/27 22:51 * edit *

takae hさんへ

takae hさん、こんばんは。
子どもに譲ってやりたかったんでしょうね。
せっかく自分の築いた地位を。
そのためには、戦って勝てなかった家康は脅威ですよね、本当に。
ホント、哀れだわ。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 23:11 * edit *

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# |  | 2013/03/27 23:13 * edit *

ディックさんへ

ディックさん、こんばんは。
このへんって、絶対授業でやっているはずですが、でも、よれほどよくわかっていなんですよね。
私もそうでした。
自分でも、こうやって書いて、頭の中がまとまりました(笑)

YUMI #- | URL | 2013/03/27 23:13 * edit *

鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。
ありがとうございます。

YUMI #- | URL | 2013/03/27 23:15 * edit *

YUMI先生の授業も、ついに秀吉晩年、いよいよ関ヶ原ですね。
このあたりは皆さんも関心が深いところでしょう。
しかし、生徒さん、五奉行の担当分野まで覚えさせられたとは、たいへんでしたね。
豊臣政権の、しかも秀吉の最晩年になって形成された五大老・五奉行(年寄)については、まだよくわからないところもありますが、よく言われる五奉行の担当の件に関しては、史料的に信用度が低い「甫庵太閤記」の記事などから広まったもので、たとえば石田三成も京都所司代を4年間務めるなど、五人に明確な役割があったわけではありません。
このため、簡単に説明する時は、秀吉の晩年に決められた政権の実務担当者たちという説明で十分でしょう。
そもそも豊臣政権は、のちの江戸幕府のように、きっちりとした政治組織が作られていたわけではなく、秀吉を中心に有力大名と三成ら子飼いのものたちが寄り集まってできた政権でした。
このため、秀吉が死んでしまうと、とくに有力大名は、家康に限らず、豊臣家のことよりも、自分たちの家の利害を優先して動く恐れがあり、三成のような奉行人たちも、秀吉に対しては強い絆で結ばれてはいましたが、三成が増田長盛を信用していなかったように、仲間たちの間は必ずしもひとつにはまとまっていませんでした。
このため秀吉は、死にのぞんで、その結束を固めておかないと秀頼の政権はもたないと見て、創り出したものが五大老であり、五奉行という組織でした。
このように、この問題は、豊臣政権の構造的な特質をまずはじめに説明してから解説すると、わかりやすいでしょう。
なお、家康が伏見城で政務をとりはじめるのは、伏見城が豊臣政権の公儀の城であったことに加えて、秀吉の遺言によるもので、家康が勝手にはじめたものではありません(もしかしたらこのあたりは次回で登場するのかな)。
家康は、こうした秀吉の遺言をうまく利用しながら、豊臣政権内に秀頼を頂点とする公儀とは別の、もうひとつの公儀を作り上げ、さらに将軍になって豊臣家の大老としての地位を脱し、最終的には大坂の陣で、秀頼をつぶすことで、ようやく公儀の完全な一本化をはかったと見ると、わかりやすいのではないかと思います。

それにしても五奉行の担当が、実は明確に定まっていたわけではなかったということを、当時の生徒さんが知ったら、ブーイングが起きるかもしれませんね。
その時は、ひとつの事を覚えれば、それだけ脳細胞が活性化するのだから、脳にとっては無駄ではなかったんだよとでも仰っていただければ、納得してもらえるかもしれません(^^)

ところで先日のお部屋に源泉掛け流しのお風呂がついているお宿、いい感じですね。
たまには、あんなお風呂にはいって、のんびりすごしたいと思います。

まこべえ #2XsKFzVg | URL | 2013/03/28 18:21 * edit *

まこべえさんへ

まこべえさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
いえいえ、生徒には五奉行の担当分野まで覚えろとはいいませんでしたよ(笑)
さすがに、そこまでは…
まあ、スライドには書いてますが…
「秀吉は、死にのぞんで、その結束を固めておかないと秀頼の政権はもたないと見て、創り出したものが五大老であり、五奉行という組織でした」程度ですよね。
家康のこともこれからまた出てきますから、そこでどう書くか、参考にさせてただきます。
いつも、勉強になります。

露天ぶろ付きの、とくに熱海のお宿はホント良かったですよ。
東京から近いですし。

YUMI #- | URL | 2013/03/28 19:11 * edit *
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