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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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3000丁の鉄砲隊? 

信長

 今日は織田信長のスライドの紹介です。

 こちらにアクセスし、織田信長のところをクリックしてください。お手数をおかけします。

 この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。ダウンロードはこちらから。

 今日は長篠の戦についてです。長篠の戦いは、1575年、三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の間で勃発した戦いです。通説では、当時最新兵器であった鉄砲を3000丁も用意、さらに新戦法の三段撃ちを実行した織田軍を前に、当時最強と呼ばれた武田の騎馬隊は成すすべも無く殲滅させられたといわれていますが、さてどうなのでしょう。

 たしかに、この戦いは鉄砲の威力を十分にいかした信長の戦術が功を奏して大勝利を得たようです。これだけ多くの鉄砲を野戦で効果的に使用したことはなかっただろうと思われます。
 しかし、まず3000丁という数字に疑問符がつきます。せいぜい1000丁くらいではないかという説も。ただ、1000丁であっても、それはすごい数字だと思いますが。
 また、3000丁の鉄砲を1000丁ずつに分けての三段撃ち。映画「影武者」などでも用いられています。『信長公記』にはこうした記述はないそうです。それが江戸時代に書かれた歴史小説に三段撃ち戦法が登場します。これが定着してしまったようで、明治期、参謀本部が出したものの中でも、三段戦法をうたっているようです。
 しかし、何はともあれ、この大勝利が人々を圧倒したことは、間違いないようです。

 「長篠合戦図屏風」には、突撃する武田軍騎馬兵に対し、織田軍が馬防の柵の前に出て、鉄砲で迎え撃つ様子が描かれています。

 このように、現在歴史の定説のように言われていることでも、実は後世の創作というものもけっこう多いようです。でも、私たちも、ついそういう話を授業でもしてしまいまして…。そういう話って、創作だけにおもしろいものが多いので。すみません。


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長篠の戦は
信長のクライマックスでしょうか。

鉄砲隊VS騎馬隊…
今の私達から見たら
「馬が鉄砲に勝てるわけがない」と
思うのでしょうが
当時の武田騎馬隊の強さはすごかったようですからねぇ。

歴史は今の価値観で判断してはダメだと
いつも思っています。

よっちん #WeUJiN46 | URL | 2013/02/23 06:38 * edit *

こんにちは

鉄砲3000丁に
三弾打ち・・・様々な異論はありますが
これも歴史の面白さですよね!!

3000丁・・・あの時代どうやって用意したんだろう??

HANAMIZUママ #OGPSQbQg | URL | 2013/02/23 11:18 * edit *

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# |  | 2013/02/23 16:16 * edit *

YUMIさんこんにちは~~♪
長篠合戦図屏風の存在が誤解のもとになったようですね~
確かに物語としては信長ならやったかもしれないと思う人も多いでしょう(笑)
でも実際には戦場の地理的条件が織田・徳川連合軍に有利だったということだけだったみたいですね。
地元の歴史研究家が発掘しても鉄砲の弾が一つも出てこなかったそうですから、実は鉄砲が使われたかも疑う人もあるそうです(*^_^*)
それでも歴史はロマンがある方が面白いですね~

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2013/02/23 17:00 * edit *

よっちんさんへ

よっちんさん、こんばんは。
ここでも信長はそろそろ終了です。
歴史は今の価値観で判断してはだめ。
その通りですね。

YUMI #- | URL | 2013/02/23 19:38 * edit *

HANAMIZUママさんへ

HANAMIZUママさん、こんばんは。
鉄砲は、国内で生産するようになっているから、各戦国大名がもち、信長もたくさんの鉄砲を用意できたのでしょう。
でも、費用がかかりますよね。
肥沃な濃尾平野をもつ信長だからこそかな。

YUMI #- | URL | 2013/02/23 19:40 * edit *

鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。
いつも応援ありがとうございます。

YUMI #- | URL | 2013/02/23 19:41 * edit *

まり姫さんへ

まり姫さん、こんばんは。
屏風絵も後世のものですからね。
でも、視覚的なものって、なんか信じちゃうような…
鉄砲が使われなかった?
そうしたら、長篠の戦はどう位置ずけましょうか。
歴史は事実なのだけれど、ついロマンも求めてしまう。

YUMI #- | URL | 2013/02/23 19:44 * edit *

戦法

長篠の戦いの図は教科書に載っていました。
当時の銃は単発だったんですよね。
撃った後は、玉込めの時間が必要と聞きました。
三段撃ちなんて、なかなか思いつかないです~。
しかし、どこまでが本当なのかしら…。
馬が可哀相。

砂希 #- | URL | 2013/02/23 19:54 * edit *

同様の話を聞いたことがあります

何分、目撃者がいない訳ですから
無理がなければ何を語ってもいいのでしょうね
懇意の作家も同様をおっしゃっており、
書いた者勝ちなんだそうです

FREUDE #6AWUBD.o | URL | 2013/02/23 21:53 * edit *

さて、小説などの物語が歴史を作っていく…、なんてこともありそうに思います。
こんな事を書いたら叱られそうですが、ぼくは歴史学者でも教師でもないし…。
人間性というものを考えると、歴史として知られる事実や数多くの物語の中から、後世の人がどれを選び取ったかというのも結構重要なことのような気がします。

ディック #22hNL7Yc | URL | 2013/02/23 21:59 * edit *

長篠の合戦における三段撃ちはフィクションですが、鉄炮の数については一次史料が欠ける現在、その正確な数値はわからないというのが、もっとも正確な答えでしょう。
比較的信頼度の高い『信長公記』には、「鉄炮千挺ばかり」とあって、これが1000挺の根拠とされるのですが、「ばかり」とあるように、あくまでも概算数値にすぎません。
また信長は、戦いにあたって鳶の巣山を襲撃させる別働隊を組織させ、そこには「信長御馬廻・鉄砲五百挺」などを投入していますから、最低でも「1500挺ばかり」はあったことになります。
さらに各部将のもとにも鉄炮はあったでしょうから、これを上回ることは確実です。
こうしたことから、世間では諸説あるように言われている鉄砲の数ですが、研究者の間では、あえて鉄砲の数を説明する時は、「最低でも1500挺以上の鉄砲を用意した」といった表現で述べることでほぼ一致しています。
問題はプラスαがどれだけあるのか。
これは史料がないのでこれがよくわかりませんが、2000挺以上はあったかもしれません。
そうなると3000挺という数字も、あながちフィクションだとはいえなくなってきますね。
ちなみにこれがどれほど大きな数字であるかは、たとえば長篠合戦と同じ年の上杉謙信の軍団の鉄炮の数と比較するとよくわかります。
「上杉家軍役張」によると、謙信の軍団全体の鉄炮の数は不明ですが、越後国内の鉄炮の数に限定すると320挺です(上杉家文書)。
予備もあるでしょうから、実際はもう少し多いと思われますが、信長は5倍以上!
武田軍の鉄炮の数をうかがえる一次史料はありませんが、上杉軍とそう大きくはかわらないでしょう。
信長も、あちこちにいた配下の武将たちからかき集めて多くの鉄炮を揃えましたが、いずれにしても信長が圧倒的な火力をもって戦いに臨んできた様子がわかります。
今井宗久を介して堺周辺の鉄砲鍛冶を統制下に置いていた信長だからこそなしえたものといえましょう。
なお、まり姫さんが、「地元の歴史研究家が発掘しても鉄砲の弾が一つも出てこなかったそうですから、実は鉄砲が使われたかも疑う人もあるそうです」とコメントされていますが、鉄炮玉は少なくとも大正10年頃から12個の玉が見つかっています(3個は織田・徳川連合軍後方陣地、3個は連合軍前線、6個は武田軍側で発見)。
鉄炮玉のうち鉛玉は白色化して小石のようになっていますので、ある程度の専門的な眼と注意力がないと、なかなか見つからないものなのです。
関ヶ原の戦場でも、たしか1発しかまだ見つかっていないはずです。
なお補足すれば、鉄炮といえば、信長ばかりが注目されますが、大坂本願寺も鉄炮を大量に使用しています。
『信長公記』にも、「(元亀(げんき)1・1570年9月12日)ゑび江(大阪市福島区海老江)と申す在所候、公方様・信長公御一所に詰陣に御陣を居ゑさせられ……城楼を上、大鉄砲にて城中へ打入れ責められ候、根来・雑賀・湯川・紀伊国奥郡(おくごうり)衆二万ばかり罷立ち、遠里小野(うりうの)(大阪市遠里小野(おりおの))・住吉・天王寺に陣取り候、鉄砲三千挺これある由候、毎日参陣候て攻められ候、御敵身方の鉄炮誠に日夜天地も響くばかりに候」とあり、長篠合戦の5年前に、すでに3000挺の鉄炮を用意しています。
大坂本願寺は、雑賀衆に対し、「鉄炮千挺」「鉄炮よき衆五百挺」「鉄炮持三百人」などと、さかんに鉄炮衆の派遣を求めていますが、本願寺が信長と互角に戦えたのも、こうした火力があったからなのでしょう。
その大坂本願寺と信長軍との戦い、近くにいたら、すさまじい音だったでしょうね。

まこべえ #2XsKFzVg | URL | 2013/02/23 22:41 * edit *

わわわ、YUMIさんの記述にまこべえさんのコメントをプラスして考えると、
歴史のロマンを感じますね。

いつの時代も数が重要なデータになりますが、
普通は一桁ぐらい、多めの表現になると聞きます。
でも信長が実際に3000挺を用意したとしたら
その機動力と先見の明には驚かされます。

うーん。だからこその信長かな……。

takae h #A5.soH/6 | URL | 2013/02/24 01:01 * edit *

砂希さんへ

砂希さん、おはようございまs。
長篠の合戦図は、必ず目にしたことがあるものですよね。
三段うちはフィクションのようですが、信長ならやりかねないと思わせるのが、信長のすごいところですかね。
たしかに、馬はかわいそうだ〜。

YUMI #- | URL | 2013/02/24 09:06 * edit *

FREUDEさんへ

FREUDEさん、おはようございます。
戦国時代の面白い話は、江戸時代につくられたものが多いようですが、忠臣蔵のように歌舞伎にでもなれば、あの話を全部本当とは思わないでしょうが、その他は年月とともに、本当のことと思われるかもしれません。
FREUDEさんのお話も、そうなったりして…

YUMI #- | URL | 2013/02/24 09:14 * edit *

ディックさんへ

ディックさん、おはようございます。
江戸時代に書かれたものが歴史をつくっているということはあるかもしれません。
「人間性というものを考えると、歴史として知られる事実や数多くの物語の中から、後世の人がどれを選び取ったかというのも結構重要なこと」たしかにそういうところありますね。
歴史教師だった私は、もちろん事実を重視してきましたが、でも、心の底にはそういう部分あっ気がします。

YUMI #- | URL | 2013/02/24 09:17 * edit *

まこべえさんへ

まこべえさん、おはようございます。
また、詳しい補足をありがとうございます。
私自身、大学の講義を聞いているようで、楽しかったです。
大坂本願寺の鉄砲の話、たしかにそうですよね。
信徒と鉄砲って、感覚的にはなじまない気がしますが、そんなことはない、大量に使用していたんですね。
また授業をする機会があれば、ちがう角度から話ができるのに…
ありがとうございました。

YUMI #- | URL | 2013/02/24 09:25 * edit *

takae hさんへ

takae hさん、おはようございます。
まこべえさんは大学の先生です。
お忙しいのですが、時々こうしてコメントに補足を書いてくださるので、私もとても勉強になります。
まこべえさんのブログは写真ブログなのですが。
こういうお話を聞くと、大学時代にもどったような気がします。

YUMI #- | URL | 2013/02/24 09:28 * edit *
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