QLOOKアクセス解析

退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

2012年の思い出その1 

 今年も残すところあと3日。ということで、今年の思い出を。←ネタ切れという噂も。

松山城2

 まず今日は、春の松山旅行です。桜の頃、松山・宮島を旅しました。松山は本当に素敵な街で、ぜひまたもう一度訪れたいと思っています。

 松山は「坂の上の雲」の街でした。その登場人物のひとり正岡子規に今日はスポットをあてたいと思います。

 子規は、1880年、旧制愛媛一中に入学。1883年、同校を中退して上京し、受験勉強のために共立学校(現開成高)に入学。翌年、東大予備門(現東大教養学部)に入学し、1890年、帝国大学哲学科に進学したものの、後に文学に興味を持ち、翌年には国文科に転科しました。この頃から「子規」と号して句作を行います。

 愛媛一中、共立学校で同級だった秋山真之とは、松山在住時からの友人です。東大予備門では夏目漱石・南方熊楠らと同窓です。

 大学中退後、新聞『日本』の記者となります。1893年に「獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」を連載し、俳句の革新運動を開始しました。1894年日清戦争がはじまると、翌95年、近衛師団つきの従軍記者として遼東半島に渡りました。しかし上陸した2日後に下関条約が調印され、帰国しました。しかその船中で喀血して重態となり、神戸病院に入院。療養ののち、松山に帰郷しました。1897年に俳句雑誌『ホトトギス』を創刊し、俳句分類や与謝蕪村などを研究し、俳句の世界に大きく貢献しました。漱石の下宿に同宿して過ごし、俳句会などを開きました。

 短歌においても、「歌よみに与ふる書」を新聞『日本』に連載。古今集を否定し万葉集を高く評価して、江戸時代までの形式にとらわれた和歌を非難しつつ、短歌の革新にもつとめました。

 やがて病いに臥せつつ『病牀六尺』を書きましたが、これは少しの感傷も暗い影もなく、死に臨んだ自身の肉体と精神を客観視し写生した優れた人生記録と、現在まで読まれています。

 子規は34歳で亡くなります。結核菌が脊椎を冒し脊椎カリエスを発症していたそうです。数度の手術も受けたそうですが病状は好転せず、やがて臀部や背中に穴があき膿が流れ出るようになりました。歩行不能になった後も人力車で外出もしていましたが、徐々に座ることも困難になりました。子規は最期約3年間はほぼ寝たきりで、寝返りも打てないほどの苦痛があったそうですが、俳句・短歌・随筆を書き続け、また後輩の指導をしました。

 才能豊かな人が、34歳で亡くなるとは。無念だったでしょうね。まだまだやりたいことがいっぱいあったのだろうと思います。

 子規の俳句は「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」が有名かと思いますが、その他にも「赤蜻蛉筑波に
雲もなかりけり」や「春や昔十五万石の城下かな」などが有名です。

 短歌では「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」や「夕顔の棚つくらんと思へども秋まちがてぬ我いのちかも」「夜の床に寝ながら見ゆるガラス戸の外あきらかに月ふけわたる」などがあります。個人的には、子規の短歌が好きです。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。1日1回応援のポチッをよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

[edit]

働き始めたころ
私を弟のように可愛がってくれた先輩が
松山出身の人でした。

もう大阪在住が長いのに
愛媛の方言そのままで
豪快でたくましく
優しい優しい人でした。

まさかあの先輩が癌で亡くなるなんて…

私が初めて松山を訪ねたのは
先輩の墓参りでした。
来年で
私は先輩と同じ歳になります。

よっちん #WeUJiN46 | URL | 2012/12/29 05:54 * edit *

おはようございます

長らくご無沙汰していました~

一昨日で仕事が終わりました。
1月20日付けで定年退職、昨日からは有給消化でお休み!

何して遊ぼうかと思案中ですが、暇に持て遊ばれてしまいそうですね~
今年も残り後わずか、良いお年を迎えてくださいね~

正岡子規は明治28年10月26日から10月29日にかけて奈良を訪れ、
その時に食べた奈良の柿を着想して作られた句だと言われていて、
それにちなんで10月26日を柿の日と定められたそうです。

愛媛では、小さい頃から俳句を教えられていましたよ~

go51525 #/fE8pp8s | URL | 2012/12/29 06:50 * edit *

どこかで見たお城、、、と思っていたら
娘が住んでいる松山城。
綺麗なお城ですよね。
坂の上の雲のドラマは松山の人達には
楽しみな撮影風景もあったとか。
いいドラマでした。

今年もあとわずか、私も一年を振り返ってみるかな?

野いちご #- | URL | 2012/12/29 07:04 * edit *

おはようございます

正岡子規はドラマ「坂の上の雲」で概要を知ることができました。
四国は、金刀比羅さんに修学旅行でいっただけですが、ドラマなどから独特の気質を感じました。
新しい国造りに奔走するこの時代に、子規の文学への凄まじい情熱とが重なって、改めて明治を生きた人々のパワーに驚かされます。

香川照之さんの熱演がまだ鮮明に蘇ってきます。

jsk #gk2i27Ik | URL | 2012/12/29 10:32 * edit *

坂の上の雲

ドラマはチラ見しました。
モックンばかりを思い出します(笑)
イケメンに目がいってしまうのは仕方ないですね。
子規は34で亡くなったのですか。
若い…。
感情をコントロールする術を知っていたのかしらと察します。
冷静沈着な人ですね。
松山にもいつかは行きたいです。

砂希 #- | URL | 2012/12/29 11:24 * edit *

よっちんさんへ

よっちんさん、こんにちは。
その方はよっちんさんに大きな影響を与えた方なんですね、きっと。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 12:33 * edit *

go51525さんへ

go51525さん、こんにちは。
お久しぶりです。
退職されるのですか。
お疲れ様でした。
本当の仕事納めだったんですね。
私も予定もなく辞めてしまいましたが、今は充実したブログ生活を楽しんでいます!(^^)!

愛媛では子規の影響大きいんでしょうね。
子どもの頃から俳句ですか。

来年もよろしくお願いいたします。
よいお年を。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 12:37 * edit *

野いちごさんへ

野いちごさん、こんんちは。
はい、以前も載せた松山城です。
私も坂の上の雲大好きでした。
主役の3人がぴったりでしたよね。
ホント、また行きたいです。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 12:39 * edit *

jskさんへ

jskさん、こんにちは。
私も四国は金比羅さんと松山しか行ったことありません。
松山は落ち着いていて、お城を中心としたすごくいい街でした。

子規の生き方はすごいなーと思います。
あの時代だからこそ、ああいう生き方もできたのかな。

香川照之さん、すごかったですね。
最近は歌舞伎の役者さんですが。
主役の3人がそれぞれよかったと思います。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 12:43 * edit *

砂希さんへ

砂希さん、こんにちは。
あのドラマは、けっこう役者がみんなあっていたような気がします。
モックンもよかったし、香川照之さんもすごかった。
身動きもできず、その中で頭だけはさえているわけですから、本当にすごい人だなと思います、子規は。
松山は本当にいいですよ。
食べ物もおいしいし。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 12:47 * edit *

こんにちは!
私は、残念ながら、
あのドラマを見逃してしまいました。
こういうお話をお聞きすると、
見ておいたらよかった~と後悔です!
四国は、愛媛と高知には遠くてなかなか足が向きません。
また、今度そういう思いで、松山城に行ってみたいです!

Harvest Moon #- | URL | 2012/12/29 13:45 * edit *

YUMIさんこんにちは~~♪
春に松山の旅行記を読ませていただきましたが、正岡子規について詳しく触れられるとは想像してなかったです。
明治時代に多くの有名人を輩出したことは知られていますが、これは幕末時に賊軍扱いになった松山藩の歴史と深く結びついていますね~

明治時代に結核と言えば不治の病だったと思います。
正岡子規は37年でやりつくしたのではないでしょうか(*^^)
26歳で亡くなった啄木とは対照的だと思います。

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2012/12/29 15:00 * edit *

Harvest Moonさんへ

Harvest Moonさん、こんばんは。
四国も香川や高松ならお近いのでしょうが、松山はちょっと遠いですね。
でも、ホント良かったです。
お城を中心にして、街ができあがっている感じです。
道後温泉もいいし、魚もおいしいし。
住んでみたいなーとも思いました。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 19:11 * edit *

まり姫さんへ

まり姫さん、こんばんは。
だから、ネタ切れだって(笑)
子規34歳。自分の34歳を考えたら、何もできていなかったなー。
今だって、やりきれた、やりつくしたなんて、とても思えません。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 19:13 * edit *

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

# |  | 2012/12/29 20:03 * edit *

鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。
良かった(#^^#)
心配してたんですよ。
頑張りましょう!!
って、私は何もやってない〜。

YUMI #- | URL | 2012/12/29 20:40 * edit *

愛媛県南部の育ちですが、松山は豊かな街で
日本で最も家賃の安い土地柄のようです

すかたんな藩主が続いた宇和島藩と異なり、
親藩の松平家は名君であったようです

子規の34歳は無念だったことでしょう

FREUDE #6AWUBD.o | URL | 2012/12/29 22:18 * edit *

黒壁に白い石垣。松山城は美しいですね。
主人の一族が松山です。
今も本家筋は松山にいらっしゃると思います。
お会いしたことはないのですが(笑)。

ベースボールの短歌はなぜか子規の作と認識しています。
でも、柿食えば……がどうもつながらないのです。
もっと古い時代のもののように思うのでしょうね。

子規の時代には、若い人がさまざまな運動の中心になりましたね。
良い時代でした。
思うのは、子規の生への執着――すばらしいですね。
私だったら、とっくにくじけてしまいます。

takae h #XC9HH1gc | URL | 2012/12/29 22:59 * edit *

FREUDEさんへ

FREUDEさん、おはようございます。
松山家賃安いんですか?
老後すごすのにいい町だなーとおもっているのですが。

子規34歳はかわいそう。
それも亡くなる前の苦しみを思うと…

YUMI #- | URL | 2012/12/30 06:14 * edit *

takae hさんへ

taae hさん、おはようございます。
ご主人松山ですか。
では、何度か行かれたことあるのですか?

柿食えばの句は、句だけがすごく有名になってしまった感じがありますね。
ベースボールという言葉は、子規がいいはじめたとか?

知れば知るほど子規はすごいなと思います。
不治の病気だと知っただけで、精神的に参ってしまいますよ、私も。
そんななか、勢力的に執筆活動を続け…
もっと生きられたら、良い句も残せたろうに。

YUMI #- | URL | 2012/12/30 06:19 * edit *
Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。