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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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平城京遷都 

今日は平城京遷都から奈良時代初期の諸産業の発達の教材の紹介です。

平城京

平城京遷都のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

710年、元明天皇の時代に平城京に都が遷ります。遷都の理由は、藤原京は律令制の整備が整うとともに手狭になった、水はけが悪い等の地理的・広さ的な問題もいわれますが、政治的な理由もあります。律令制が整備され、中央集権国家としての日本を内外に誇示したい、そのためのより広大な都が必要だったのではないでしょうか。また、もう一つのキーポイントとして藤原不比等があげられます。不比等は大化の改新で活躍した中臣(藤原)鎌足の子で、こののち平安時代に活躍する藤原氏の基を築きました。しかし、不比等は鎌足の息子だからという理由で出世できたわけではありません。鎌足は天智天皇との結びつきが深く、その後の天武・持統朝に重く用いられたとは思えません。親の七光りではなく、自分の力でのし上がってきたのではないかと思われます。その不比等が、自分の地位を確固たるものにするために、平城京遷都を利用したのではないでしょうか。

「なら」の枕詞は「青丹よし」です。「青」は青い屋根、「丹」は朱色の柱を意味します。平城京に建てられた建物はスライドの写真のように青い屋根と朱色の柱が印象的だったので、「青丹よし」となったわけです。しかし、庶民の家といったら、奈良時代になってもまだ竪穴住居が多少上等になったようなものだったといわれています。

30里毎に駅家を設置し、各路の駅家に駅馬を配置し、使用許可証に駅鈴を使用するなどの交通制度も整えられました。また、以前は最古の貨幣といわれていた和同開珎も作られます。都には市もたつようになります。ただ、物々交換が主流で、貨幣はなかなか使ってもらえなかったようですが。

「奈良朝の農民 貧困のサイクル」というスライドにも示しましたが、奈良時代の農民は山上憶良の貧窮問答歌にあるように貧しい生活を強いられました。しかし、収穫量の3%にあたる租はそれほどきつい税ではないと思います。租よりも庸・調・雑徭・出挙・義倉などの様々な税が、農民に重くのしかかっていたのだと思います。

奈良時代、政治史も興味深いところですが、政治史はまた次回。

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こんにちは~(*^^)
古代から農民は最下層に位置づけられていたんですね。
負担だけさせられたというのは現代社会にも通じるように思います。

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2011/11/17 16:12 * edit *

まり姫さんへ

この時代から、良民・賤民という概念はあるし…
でも、江戸時代ほど、その差はひどくないようですが。

YUMI #- | URL | 2011/11/17 17:31 * edit *
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