QLOOKアクセス解析

退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

遣唐使 

今日は遣唐使のスライドの紹介です。

遣唐使

遣唐使の派遣の教材はこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

遣唐使は、630年犬上御田鍬が第1回遣唐使として派遣され、894年の菅原道真まで続きます。(道真が廃止を建議)
遣唐使の派遣は、奈良時代から平安時代にかけて、唐文化を模倣し、律令国家を整備する上で大きな意味があったと思います。

遣唐使は「四つの船」と呼ばれています。一度に4隻の船で船出するのが普通だったからです。遣唐正使と副使は別の船に乗ります。海が荒れ、遣唐使船は危険がいっぱいだったのです。

遣唐使を派遣するときには、「持蓑(じさい)」という人が必ず雇われていました。持蓑は、船先に立って、髪は手入れをしないでボサボサ状態にし、ノミやシラミもとることなく、衣服は垢で汚れていて、肉を食べないで、婦人を近づけることはない、というものでした。そして、航海が成功すると報酬をもらい、海が荒れて遭難必至となると持衰を海神への生贄として海に投げ込みました。

遣唐使船には、多くの留学生や留学僧も一緒に乗り込みます。唐の律令制や仏教を学び、日本に持ち帰るためです。貧窮問答歌で有名な山上憶良や、奈良時代聖武天皇の時代に活躍した吉備真備や僧玄昉、平安時代初期に活躍した最澄、空海、円仁、円珍等の僧侶が有名です。最澄、空海は同時代に唐に渡っていますが、その滞在期間やたどった道筋をみると彼らふたりの性格がかいま見えて面白いのですが、それはまた弘仁貞観文化のところで紹介したいと思います。

2004年中国西安で「井真成」という名の墓誌が発見されました。井真成は717年、多治比真人県守を大使とする遣唐使とともに唐に渡ったとされる留学生で、唐で病死したものと思われます。墓誌に日本という国名があることでも注目されました。

ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

[edit]

こんにちは~(*^^)
留守中コメントありがとうございました。
おかげさまで今朝無事に帰宅しました^^
度々のことなのですが驚かれたかもしれません。
ご心配いただきありがとうございましたσ(゚ー^*)

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2011/11/14 15:37 * edit *

まり姫さんへ

よくなられて良かったですね。
お大事に。

YUMI #- | URL | 2011/11/14 15:40 * edit *
Secret

トラックバックURL
→http://yulo17kt.blog.fc2.com/tb.php/44-dd1d8d82
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。