QLOOKアクセス解析

退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

日本国王臣源 

日明貿易

今日も日明貿易のスライドの紹介です。

日明貿易のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

今日は、日明貿易で交わされた国書に出てくる、「日本国王臣源」と「日本国王源道義」という言葉についてです。
明から日本への国書のなかで、義満を「日本国王源道義」としています。また義満自身も明への国書のなかで「日本国王臣源」と自称しています。

さてこれはどういう意味でしょうか?
「日本国王源道義」ですが、源は源氏のこと。足利氏は源氏ですから、源道義とは足利義満のことです。「日本国王源道義」とは「日本国王であるところの足利義満」という意味になります。

また「日本国王臣源」ですが、こちらも源は足利をさします。ちょっと見た目には日本国王の臣である足利とも読めそうですが、そうではなく、これは「日本国王であり明の臣である足利」という意味になります。

義満は日本国王でしょうか。
そうではありません。為政者ではありますが、外国に対して国王と言ったら天皇でしょう。
これには、中国の冊封体制が関係しています。冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、中国皇帝と君臣関係を結ぶます。この冊封によって中国皇帝の臣下となるわけです。これには中国の中華思想が大きく影響しています。

明は当初、義満については、天皇の臣に過ぎないとして通行を拒みましたが、倭冦の禁圧を義満に期待して、妥協したようです。

義満は明に対しては「日本国王」と名乗り、明からもそう扱われています。これを日本国内統治にも利用したのか?それはなかったようです。なせ?
それは将軍と守護大名の力関係にあったのではないでしょうか。

足利将軍が絶対的な力をもっていれば、この言い方を用いて、もっと守護大名を押さえることができたかもしれませんが、将軍にそれほど強い力はありません。そんななかで明から日本国王と認められているからという形で統治しようとしたら、守護大名の反感をかうだけでしょう。
だから、日本国内では、この言い方を使わなかったようです。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。1日1回応援のポチッをよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

[edit]

守護大名といえば
山名、赤松、京極なんて名前が出てきますが
足利氏は彼らに配慮しなくてはいけなかったのでしょうね。

周囲の国に配慮しまくる
我が国のリーダーを思い出しました(+o+)

よっちん #WeUJiN46 | URL | 2012/08/24 07:05 * edit *

おはようございます!
またまたなるほど~
明に対しての顔と、
国内の守護大名たち対する顔を
使い分けた、ということですね。
また勉強になりました!

Harvest Moon #- | URL | 2012/08/24 10:57 * edit *

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

# |  | 2012/08/24 12:55 * edit *

よっちんさんへ

よっちんさん、こんにちは。
そうです、足利氏は守護大名に相当配慮せざるをえません。
今のリーダーは配慮しすぎ?
足利は配慮はしますが、まわりも足利の力を認めていますが…

YUMI #- | URL | 2012/08/24 14:48 * edit *

Harvest Moonさんへ

Harvest Moonさん、こんにちは。
そうです、対外関係と対内問題は使い分けです。
そのへんは室町幕府は柔軟かもしれません。

ホントに授業みたいになってきましたね。

YUMI #- | URL | 2012/08/24 14:53 * edit *

鍵コメさんへ

コメントは気にしないでくださいね。
応援ありがとうございます。

YUMI #- | URL | 2012/08/24 14:54 * edit *

YUMIさんこんにちは~~♪
「日本国王源道義」とは恐れ入りましたね^^
中国支配者が変わっても日本に対する姿勢は一貫して属国扱いだったように思います。
清朝になるまで続いていたかと思うと、やはり中国は大国だったということでしょうか(*^_^*)

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2012/08/24 17:10 * edit *

まり姫さんへ

まり姫さん、こんばんんは。
倭寇に苦しんでおきながら、朝貢でなければ貿易しないというわけですから。
だから最初は義満との貿易は躊躇するわけですから。
中国が大国というよりも、その意識はいったい何なんだろうと思いますね。

YUMI #- | URL | 2012/08/24 20:47 * edit *

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

# |  | 2012/08/24 21:21 * edit *

最近の歴代首相と同じく、
カリスマ性に欠ける存在だった訳ですね

足利義満でさえ、それですから
室町幕府には
国を平定することに役不足を否めません

FREUDE #6AWUBD.o | URL | 2012/08/24 21:27 * edit *

鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。
皆さん思うようですね、足利将軍は今の内閣と同じようだと。

お忙しくて大変ですね。
コメント気になさらないでくださいね。

YUMI #- | URL | 2012/08/24 22:13 * edit *

FREUDE さんへ

FREUDE さん、こんばんは。
たしかに義満でさえこれですから、室町幕府の他の将軍はそれ以下ですからね。
尊氏でさえカリスマ性は?だっとようですから、よくあれだけ続いたものだと思います、室町幕府。

YUMI #- | URL | 2012/08/24 22:17 * edit *

いや、ほんと、YUMIさんの日明貿易の授業で
室町幕府ってこんなに長続きしたんだ! と
驚きました。私がこの時代に持っているイメージは、金閣寺から銀閣寺に、どんどん堕ちていく~というもので、確か高校の授業でもすごく存在感が薄かったように思います……顔を使い分けておめおめ(笑)長生きしたなんて、ある意味すごいような(汗)。

takae h #A5.soH/6 | URL | 2012/08/24 22:40 * edit *

takae hさんへ

takae hさん、こんばんは。
私も自分が高校のときの授業では、室町時代ってあまり印象強くありませんでした。
でも、へんな時代だからこそ、勉強していくとおもしろいかも。
庶民の生活史もおもしろいですよ。

顔を使い分けなければ生きられなかったのでしょうが、それで長く続くのですから、ある意味すごいです。

YUMI #- | URL | 2012/08/24 22:57 * edit *

はじめまして。
先日のバリ島の旅行記、楽しく拝見させていただきました。
いつか行きたいと思いながら、いまだ未訪のバリ島。
旅行記を拝見して、行きたい思いがさらに強まりましたが、なかなか長い休みがとれないために、今回もYUMIさんの記事で我慢です ^^;
また行かれた時は、紹介してくださいね。

連載中の日本史の記事も、さすがに高校の先生をされていただけあって、いつもコンパクトに、かつわかりやすくまとめられていて、早い退職が惜しまれます(私も同業です)。
今回は、義満の記事でしたが、少し気になる点があったので、ご参考にとコメントしました。
義満の朝貢が明側から拒否されたのは、「天皇の臣にすぎない」からではありません。
『明太祖実録』に「時に日本国は持明と良懐と争立し、宣聞渓等、その国臣の書をもたらす。……表文なく上命してその貢を却す。……さきには国王良懐、表を奉じて来貢す。朕もって日本正君と為す」とあるように、明の太祖が1371年に九州で勢力を持っていた懐良親王に日本国王の称号を授けていたために、義満は、その国王の臣下にすぎないとして拒絶されたのです。
「国臣の書をもたらす」とあるように、義満は、日本国王の臣下にすぎず、明皇帝から見れば、陪臣であって、陪臣が礼を行うことは、分を越えるものだとされてしまったのですね。
このため義満は、懐良打倒に力を注ぎ、1380年にも「征夷将軍源義満」の名前で使者を派遣しますが、これも拒絶されてしまいます。
このためいったん明との通交を棚上げにして国内の体制固めに力を注ぎ、国内における自己の権力の絶対化を目指していきます。
守護大名にも強い態度でのぞみます(将軍と守護の連合政権的な性格が色濃くでるのは次の義持の時代です)。
そしてみずからを法皇になぞられえつつ、日本の実質的な支配者としての地位を固めると、明側の支配者交替の機会もうかがって、1401年に使者を明に送り、翌年「日本国王」の称号を獲得しました。
ならば、なぜこの称号を国内向けに使用しなかったのか。
記事には守護大名の反発を買うからとありますが、すでにこの時点で義満は大きな力を持ち、反発をしようものなら、守護職を没収されてしまいます。
国内向けに使用しなかったのは、「日本国王」という称号は、国際的には通用しても、国内的には、天皇に代わる支配者の称号だという認知を受けてはいなかったからです。
ならば、なぜそんなものを求めたのか。
YUMIさんならおわかりでしょうが、これがなければ、明と交易できなかったからです。だから義満はこの称号にこだわりました。
なおかつてはこの称号に、政治的な意図があるものとして理解してきました(佐藤進一・今谷明)
しかし、この考えは、現在は否定されています。

なお以前、鎌倉の紹介で護良親王が閉じ籠められたと伝えられる鎌倉宮の土牢を紹介されていましたが、『太平記』に「二階堂谷に土の籠を塗ってぞ置きまいらせける」(『太平記』巻12)とあるように、彼が閉じ込められたのは、土の穴ではなく、土をもって塗り固めた牢屋、つまり土壁の牢屋のことで、鎌倉宮にあるような土牢ではありません。
この俗説、だれが言い始めたのかわかりませんが、鎌倉宮のHPでも紹介されていて、ずいぶんと流布していますね。
こうした事例は、各地に無数にあるので、困りますね。ご参考までに。
これからも、わかりやすいネット授業、続けてくださいね。応援しています。

まこべえ #2XsKFzVg | URL | 2012/08/26 18:39 * edit *

まこべえさんへ

まこべえさん、こんばんは。
ご訪問、コメントありがとうございます。
まこべえさんのお写真のブログは、何回か拝見させていただいていました。

いろいろとご指摘ありがとうございます。
懐良親王の件など、載せようかどうしようかと思ったのですが、あまり詳しくしすぎてもと思い割愛しましたが、たしかにそうするとちがってきてしまいますね。
また、鎌倉宮の土牢も、彼が閉じ込められたのはあそこではないのは理解していますが…
なんて言い訳じみていますね。
あまりくわしくないところもありますし、間違いもあると思いますので、ご指摘ありがたいです。

よろしくお願いいたします。

YUMI #- | URL | 2012/08/26 18:57 * edit *
Secret

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。