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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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私は極楽往生できるか、善人(?)だからなー 

コラージュ鎌倉文化

さて今日は鎌倉文化のスライド2回目です。

鎌倉文化のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

今日は鎌倉新仏教、浄土真宗の説明です。浄土真宗、開祖は親鸞(しんらん)です。彼も9歳で比叡山に登り天台宗を学びました。そののち法然の門に入ります。法然が讃岐へ流される際、越後(のちに常陸)に配流になりました。その後京都に帰り90歳という長寿で没しました。

教義の特徴は、法然の教義をもっと深化させたものです。法然の専修念仏に対し、阿弥陀仏を信仰する気持を起こし念仏さえ唱えれば、その瞬間に極楽往生が約束されると説きました。

彼の教義の代表的なものが、有名な悪人正機説です。悪人正機説とは、阿弥陀如来が救済する対象は悪人であるという考え方です。「善人なをもて往生とぐ、いはんや悪人をや」(歎異抄)。これを聞いたらちょっと違和感を感じませんか?善人より悪人が先に救われる?それはないだろうと。でも、善人とは善行を積んで成仏しようとする人、善行を積めるというのは強い人だから、悪人とは善行が積めず、自分の罪の深さを自覚した人、弱いから悪人になっていまう人という風に考えたらどうでしょうか。阿弥陀が救うのは弱い人だと考えれば納得がいくのではないでしょうか。

中心寺院は本願寺、著書は「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」です。他に「歎異抄(たんにしょう)」がありますが、これは弟子の唯円(ゆいえん)が親鸞の生前の言葉を集め解説を加えたものです。


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私の解釈

同じようなことはキリスト教でもでもいってますよね。
「罪あるものは許される」と。
これ、私なりに考えたのですが、罪を自覚して悩んでいる者と解釈しました。
だから許される、と。
仏教でも「煩悩即菩提」ということばがあります。同じではないか。

ところが今よく起こる犯罪、ムシャクシャするから人を殺したとか、遊ぶ金がほしいから人の財布をかっぱらう、あるいはオレオレ詐欺をする……などは、ほとんど短絡的な行為で、「罪を自覚して悩んでいる」のとは違うのではないか。
このような犯罪に関しては、仏教でもキリスト教でも言及されてません。(私の読みが浅いのかもしれませんが)
これら短絡的犯罪に関しては、法律で罰するしかない(暗に法律にゲタを預けている)、と考えているのではないでしょうか。
ここに宗教の限界があり、宗教もそれを認めている。
そう、私は解釈しているのですが。

京一郎 #z.Jczy7U | URL | 2012/06/06 09:49 * edit *

京一郎さんへ

京一郎さん、おはようございます。
言われるとおりではないでしょうか。
仏教でもキリスト教でも、罪あるものが許されないのでは、なんのための宗教か…
罪を自覚して悩んでいる人間は、宗教においても、法律においても許されることはありでしょう。

でも、源代の短絡的な犯罪は、人間は弱いからといえるものではないし、やったことを悪だとも感じていないのではないでしょうかね。
宗教では、現代のこのような現状まで想定できなかった?
私も宗教にかんして詳しいわけではありませんが。
宗教の限界、その通りかもしれませんね。

YUMI #- | URL | 2012/06/06 10:00 * edit *

>、善人とは善行を積んで成仏しようとする人、善行を積めるというのは強い人だから、悪人とは善行が積めず、自分の罪の深さを自覚した人、弱いから悪人になっていまう人という風に考えたらどうでしょうか。

そう考えれば、不公平でないように思えます。
京一郎さんもおっしゃっていますが、罪を犯したのに、罪の認識がない人は救済の対象外でしょうね。
そんな人たちが現代にはうじゃうじゃだと思いますが。

しずか #- | URL | 2012/06/06 11:22 * edit *

しずかさんへ

しずかさん、こんにちは。
当時の人たちが、親鸞の善人、悪人をどう捉えたかわかりませんが、悪人でも救われると言われれば、南無阿弥陀仏に飛びつくでしょうね。

罪の自覚のない悪人というのが、一番まずい存在ですね。
現代はいったい何なんでしょうね。

YUMI #- | URL | 2012/06/06 13:11 * edit *

YUMIさんこんにちは~♪

私は無信仰なのでよくわからないんですけど、宗教そのものが人間が迷ったり、精神的に疲れたときの拠り所になっているんじゃない゛しょうか。
親鸞の宗教観が最下層の人々に受け入れられたのもそのあたりじゃないかと思います。
親鸞と言えば破戒僧として比叡山から非難されたり、都の人々から投石をされたりしたという話で有名でしたよね^^

まり姫 #8m8hig/. | URL | 2012/06/06 16:26 * edit *

こんにちは

私は救われたような気持になりました。
いつも自分の行いに反省しています。
学習能力がないのかも・・・^^;
こんな私でも、救いの手が差し伸べられるんですね。
ありがたいです。

saeko #ELD9pjOg | URL | 2012/06/06 16:47 * edit *

まり姫さんへ

まり姫さん、こんにちは。
鎌倉の新仏教は、浄土真宗だけでなく、みな最下層の人々の救済になっていると思います。
お金を寄進しなくても、お寺を建てたりしなくても、仏像をつくったりしなくても救われるのですから。

今のこの世の中、何か救いになるものはありませんかね。

YUMI #- | URL | 2012/06/06 17:04 * edit *

saekoさんへ

saekoさん、こんにちは。
いつも自分の行いを反省ですか。
偉いなー。
私は反省もせずに、同じことを繰り返しているような…

私は仏教を信仰しているわけではありませんが、仏教の考え方は好きです。
日本人には、スッとはいってくるような気がします。

YUMI #- | URL | 2012/06/06 17:07 * edit *

仏教の持つ鷹揚さ、寛容さというものが
私にはとても好きな部分です。

私も熱心な仏教徒ではありませんが
仏教の懐の広さに触れたとき
なんとも言えない温かさを感じます。

よっちん #WeUJiN46 | URL | 2012/06/06 20:53 * edit *

よっちんさんへ

よっちんさん、こんばんは。
鷹揚さ、寛容さ、慈悲の心…
お寺に行って落ち着くのは、その建物やお庭にも仏教の心が生きているからでしょうか。
難しいことはわからなくてもね。
お寺めぐりや仏像めぐり大好きです。

YUMI #- | URL | 2012/06/06 21:07 * edit *

分かりやすい布教だったのではないか、と
勝手に想像しております

大衆にわかる宗教は儲かりませんから
携わらない宗教家も多いでしょうね

FREUDE #6AWUBD.o | URL | 2012/06/07 00:08 * edit *

FREUDE さんへ

FREUDEさん、おはようございます。
そう、たしかにわかりやすかったのだと思います。
親鸞の魅力もあったのでしょうかね。
親鸞とか一遍とか会ってみたいです。←何言ってるのですね。

YUMI #- | URL | 2012/06/07 08:58 * edit *
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