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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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義経に対してだけでなく範頼にも 

今日も源平の争乱のスライドの紹介です。

源平の争乱のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

1183年源義仲軍は平氏追討のため山陽道へ出立します。同年閏10月に義仲軍は備中水島で平重衡率いる平氏軍に敗北します。山陽道の平氏勢力が盛り返して義仲は連敗しながら京都に帰還します。

同じく1183年頼朝は、後白河法皇から上洛を催促されますが鎌倉に留まって、逆に法皇へ東海道・東山道・北陸道の国衙領・荘園をもとのように、国司・本所へ返還させる内容の宣旨発布を要請します。その結果、後白河法皇は義仲への配慮のため北陸道は除きますが、ほぼ上記の内容を認める「寿永二年十月宣旨」を頼朝へ出しました。簡単にいえば東海道・東山道の荘園・国衙領で問題があれば頼朝に訴え沙汰してもらえというものです。頼朝は、既に実質的に東国を支配していましたが、この宣旨は、頼朝が東国支配権を政府に公認され、その正統性を獲得したことを意味します。

後日述べますが鎌倉幕府成立の時期がいつかというのは、いくつかの説があって、この1183年の寿永二年十月宣旨もそのひとつで、なおかつ、いくつかの説のなかでも有力なものです。東国の支配権が認められたのですからあたりまえでしょう。鎌倉幕府の成立=1192年ではありませんよ。もちろん、1192年もいくつかの説のひとつではありますが。

頼朝は、義仲を牽制して弟の源範頼、源義経らに京都への進軍を命じ、範頼・義経軍は11月初めには近江に到着しました。山陽道で敗北を重ねていた義仲は、京都への帰還直後に後白河法皇との関係が決裂します。味方の離反もあり孤立感を深めていきました。11月、義仲は後白河法皇を幽閉しますが、こののち法皇と義仲の連携が成立して、12月に法皇は義仲に頼朝追討の院宣を発しました。そして翌1184年、義仲は征夷大将軍(または征東大将軍)に任命されました。

これは緊急時における政治大権を武士に付与することを意味する画期的な事件でもありました。このような情勢下、範頼軍と義経軍は、それぞれ京都近郊の勢多と宇治で待ち受ける義仲軍と交戦して勝利し、義経軍はそのまま入京して法皇の身柄を確保しました。義仲は近江粟津で戦死しました。

源範頼は源義朝の六男。源頼朝の異母弟で、源義経の異母兄です。父義朝が敗死した平治の乱では存在を確認されず、出生地の遠江国で密かに養われたといいます。こののち義経とともに平氏との戦いで活躍をします。

1193年、曽我兄弟の仇討ちが起こり、頼朝が討たれたとの誤報が入ると、政子に対して範頼は「後にはそれがしが控えておりまする」と述べました。この発言をきいた頼朝は謀反の疑いをもったといいます。それに端を発して結局範頼は伊豆に流されました。誅殺されたともいわれます。

義経についてはまた日をあらためて書きますが、頼朝は肉親に対しては義経に対しても範頼に対しても厳しい態度でのぞみます。これは一族の内部分裂を恐れるあまりでしょうか。でも、こうしたことがあるので、頼朝のイメージは、「冷たい人」というようになってしまうのでしょうね。以前にも書いた似絵からうける影響も大きいと思いますが。


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# |  | 2012/03/26 08:10 * edit *

源平の合戦については
中学校の授業でもさほど詳しく
習った記憶がありません。

調べれば面白い史実が
たくさんあるものですねぇ(^^)

よっちん #WeUJiN46 | URL | 2012/03/26 16:01 * edit *

よっちんさんへ

よっちんさん、こんにちは。
私も授業ではこんな詳しい話していません(^^;)
ここまでやっていたら終わりませんから。
でも、話としてはおもしろいものがたくさんあるので
このブログではご紹介しています。

YUMI #- | URL | 2012/03/26 19:07 * edit *

昨日、オンデマンドで、

最近、配信が始まった「草燃える」の総集編、第一話『頼朝起つ』を見ました。
1979年の放送ですから、私はもう、24歳の頃です。ほとんど全話見ていると思います。

だけど、細かいところは忘れていましたね。

この総集編第一話では、石橋山の戦いがあり、江原真二郎さん演ずる梶原景時が、石坂浩二さんの頼朝を見逃して助けるシーンもありました。

この間、こちらで読ませていただいたばかりだったので、嬉しくなりました。

今日は、この後、第二回「平家滅亡」の回を見ます。富士川の戦いから、屋島の戦いまで。

範頼さんも、出てくるようなので、楽しみです。
なんだか、こちらで、予習させていただいているみたい。


yumin #Ucsnf9Dg | URL | 2012/03/26 20:58 * edit *

yuminさんへ

yuminさん、こんばんは。
草燃えるは私も全部見たと思いますが、すっかり忘れていますね。
でも、あの頃の大河はおもしろかったですよね。
今日は屋島までですか。
今週中に一ノ谷・屋島あたりまでこちらの記事もすすみますから、今度は復習ですね(^^;)

YUMI #- | URL | 2012/03/26 22:02 * edit *

小学生の頃、1192造ろう鎌倉幕府で
覚えましたがあれからもう、40年も経過しております

その頃の先生が、子供の頃
世界で最も長い川をミシシッピ川と教わった、と
おっしゃっていたことを思い出しました

史実がはっきりする研究が進めば
いろいろと面白くなりますね

FREUDE #6AWUBD.o | URL | 2012/03/26 22:26 * edit *

今、見終わりました。

Wikipediaで、ちゃーんと内容を確かめていたつもりだったのに、見損ねていました。

平家滅亡の、壇ノ浦の戦いまで、入っていましたよ。

この義経(国広富之)さんは、割と、性格が荒々しく描かれています。
石坂浩二さんの頼朝もいいですねー。

静御前が、ちょっとイメージと違いました。

岩下志麻さんの北条政子も、ばっちりです。


次に見る予定の、第三回では、義経が死に、曽我兄弟の仇討があった後、頼朝が急死するところまでのようです。

今から見るかどうか、思案中。

yumin #Ucsnf9Dg | URL | 2012/03/26 22:32 * edit *

v-224YUMIさん こんばんは
平家は赤ののぼり 源氏はしろののぼり
赤白の戦いから 運動会も赤白に分かれて戦う 本当ですか
今伊勢の平家  愛知の知多の源氏で観光客の 争奪で戦っているそうです

青い青い空 #bJeXb1Fk | URL | 2012/03/26 23:00 * edit *

FREUDE さんへ

FREUDE さん、おはようございます。
平和的な政権交代ではないから、幕府始まりに諸説あってもしかたないのですが、生徒には不評でした。
吾妻鏡にしろ日本書紀にしろ勝者の歴史書ですから、間違いもあると(故意の間違いも)あると思います。
研究がすすめば、歴史はまだまだかわりますね、

YUMI #- | URL | 2012/03/27 07:17 * edit *

yuminさんへ

yuminさん、おはようございます。
石坂頼朝、岩下政子はぴったりの配役ですね(^_^)v
義経は国広さんでしたか。

次回義経、頼朝の対立と死ですか。
おもしろそう。

YUMI #- | URL | 2012/03/27 07:20 * edit *

青い青い空さんへ

青い青い空さん、おはようございます。
紅白の起源は諸説あるみたいですが、平氏・源氏のこの説が有力みたいですね。

今年は大河もかかわっているから、観光客争奪大変ですね。

YUMI #- | URL | 2012/03/27 07:22 * edit *
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