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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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松下村塾 

 久しぶりに歴史授業を。
 長州藩の話になっていましたので、今日は松下村塾(しょうかそんじゅく)の話を。幕末の長州藩の志士たちは、松下村塾の出身者が多いですから。

 松下村塾は、もともと長州萩城下の松本村に、松陰の叔父である玉木文之進が1842年に設立したものです。松下村塾は木造瓦葺き平屋建てで、八畳とのちに増築した十畳半の部分からなっています。玉木文之進のあと久保五郎左衛門が継承し、1857年に藩校明倫館の塾頭を務めた吉田松陰がこれを引き継ぎました。

 武士や町民など身分に関係なく塾生を受け入れました。

 幕末京都で活躍した多くの志士や明治新政府で活躍した多くの人間がこの松下村塾の出身です。まずは久坂玄瑞(くさかげんずい)、吉田稔麿、入江九一、高杉晋作。高杉晋作、久坂玄瑞は、「識の高杉、才の久坂」と称され、松下村塾の双璧と呼ばれたそうです。久坂玄瑞(高杉晋作もそうですが)はこの先何回も名前が出てくると思います。他には伊藤博文、山縣有朋、品川弥二郎、山田顕義ら明治政府において活躍した者たちもそうです。萩の乱を起こした前原一誠などもいます。桂小五郎(のちの木戸孝允)は塾生ではありませんが、藩校明倫館で松陰に兵学の教えを受けています。

 萩市の松陰神社の境内には、修復された当時の建物があります。

 吉田松蔭は安政の大獄で1859年に処刑されましたが、獄中でその門弟達に向けて『留魂録(りゅうこんろく)』を書き残しています。その冒頭に記された「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」は有名です。また家族あてには「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」を残し、こちらも有名です。



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