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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

本能寺 

信長

 今日は織田信長のスライドの紹介です。

 こちらにアクセスし、織田信長のところをクリックしてください。お手数をおかけします。

 この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。ダウンロードはこちらから。

 今日は本能寺の変です。本能寺の変は、1582年織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に宿泊していた信長と息子信忠を襲い、自殺させたクーデターのことです。なぜ光秀が反旗を翻したかは定かではなく、現在でも定説と呼ばれるものは確立されていません。日本史上の大きな謎の1つです。

 秀吉は毛利の将のこもる高松城(岡山県)を囲んでいました。城のまわりに堤を築き、川の水をひき、水攻めにするつもりでした。水中に孤立した城。これに対し毛利軍は救援を送りました。信長は自ら出陣し毛利と決戦をする覚悟で、光秀に先陣を命じました。

 そのため5月29日に上洛しますが、小姓衆2,30人を召し連れただけでした。6月1日、宿所本能寺で茶会を開きます。
 光秀は戦勝祈願のため京都愛宕山に参詣し、連歌会を開いたりします。6月1日出陣した光秀は、途中で行先を京都に向け、2日未明本能寺を取り囲み、ときの声をあげ鉄砲を打ち攻め込みました。小姓しか軍勢のいなかった信長は、応戦しますがかなわず、御殿の奥深くに退き、火の中で自ら命をたちます。信長49歳。天下統一は間近いと思われる時に、人生が予期せぬ終結を迎えたわけです。
 
 京に入り桂川を渡ったところで、光秀は「敵は本能寺にあり」という有名な言葉を言ったとされていますが、これは後世の創作とも。

 なぜ光秀が反旗を翻したか。光秀の信長への怨恨説、信長と光秀の天下への理想のちがい、黒幕説など多種多様です。また黒幕も朝廷だったり、イエズス会だったり、いろいろあります。これは授業であつかった教材なので、事実のみにしておきますね。


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