FC2ブログ
QLOOKアクセス解析

退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

なぜ義昭を? 

信長

 今日は織田信長のスライドの紹介です。

 こちらにアクセスし、織田信長のところをクリックしてください。お手数をおかけします。

 この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。ダウンロードはこちらから。

 今日は1568年信長が足利義昭(13代将軍足利義輝の弟)を奉じて入京したのち畿内を制圧し、義昭を15代将軍に就任させ、実権を掌握した話からです。その後義昭と信長は不和となり、義昭は浅井長政・朝倉義景・武田信玄・石山本願寺と結ぶようになりますが。    

 信長は1568年足利義昭を奉じて上洛の途につきます。信長は当初この上洛により幕府と朝廷の復興をめざし、幕府体制を自己の力で維持しようと考えました。この段階では独自の政権を樹立しようと考えていたわけではないようです。
 しかし、なぜここで室町将軍がでてくるのか。室町幕府なんてもう何の力もないでしょう。ましてや織田家は守護から国の支配権を奪ったわけで、室町幕府の体制からは異質な存在です。しかし、信長をはじめ戦国大名たちは、他国への侵略を正当化する名分が必要で、それを与えてくれるものとして将軍や朝廷が必要だったのです。信長も将軍と密接な関係をつくることで、尾張支配を正当化してもらおうと考えたのでしょう。信長だけでなく戦国大名はみな、中央の権威との結びつきを重要視していますが、こういう意味合いがあったのですね。

 この他にも信長は右大臣兼右近衛大将となったり、朝廷に献金をしたり御所の建築をしたり、朝廷との関係も密接にします。金を出し、口も出すということでしょうか。

 将軍義昭は信長を語るうえでけっこう重要な人物です。こののちの石山戦争なども彼が絡んでくるわけですし、明智光秀も義昭と関係があります。ということで、今日はなぜ信長が義昭と関係をもったかというお話でした。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。1日1回応援のポチッをよろしくお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト



[edit]