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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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恒居倭って何? 

今日も日明貿易のスライドの紹介です。

日明貿易のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

今日も日朝貿易のお話です。
今日は三浦の乱(さんぽのらん)(1510年)についてです。  
三浦については前回説明したと思いますが、朝鮮半島南部三浦(釜山浦・乃而浦・塩浦)には日本人居留地があり、宗氏を始めとする西日本諸勢力は三浦を拠点に朝鮮と通交をしていました。しかし朝鮮にとってこの通交は多大な負担があり、次第にその通交に制限を加えていくことになります。

三浦に居住する日本人のことを恒居倭(こうきょわ)といいますが、この恒居倭が反乱をおこします。その原因は、朝鮮側が国庫が窮乏してきたからということで、恒居倭の貿易の禁止令をだします。この背景には恒居倭の不法な増加があったと考えられます。

経過としては、恒居倭が対馬の宗氏の援軍を得て、乃之浦・釜山浦を急襲、朝鮮武将を殺害の上、朝鮮政府と旧に復す交渉をしますが、朝鮮側は大軍を派遣して反撃します。それにより宗軍は撤退し、大内氏の斡旋により講和、壬申約条を締結します。

結果、朝鮮側は対日貿易を大幅に制限し、以後、日朝貿易は衰えることとなります。 

恒居倭なんて、あまり馴染みのない言葉がでてきましたね。

このあと朝鮮半島沿岸部も後期倭寇の襲撃にあいます。後期倭寇にたいし朝鮮は有効な対策を打ち出せないまま、豊臣秀吉の時代に倭寇が終息するまで苦しめられることになります。


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