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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

「建武」は光武帝 

建武の新政

今回から建武の新政のスライドの紹介です。

建武の新政のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

グーグルクロームをお使いの方は、スライドが少しおかしく見える部分があるかもしれません。すみません。

さて、鎌倉幕府が倒れた後、後醍醐天皇を中心とした政治が始まります。ご存じ建武の新政です。
何故建武の新政というのか。それは元号をあらたに建武と定めたことによるわけですが、この「建武」には意味があります。皆さん、「建武中元二年」なんていう年号を聞いたことがありますか?これは後漢書東夷伝のなかに出てくる元号です。後漢の光武帝の時に使われた元号です。光武帝とはどのような人か。漢という王朝は一時新という王朝にとってかわられます。光武帝はその新をたおし漢(後漢)を復興した人です。後醍醐天皇が「建武」という元号を使用したのには、「天皇親政を復活した」自分を光武帝になぞらえて採用したのではないかと思われます。ちなみに建武中元二年は西暦57年です。「金印」に関連した年号なのですが、覚えていらっしゃいましたか?

その建武政府は上述したように後醍醐天皇による天皇親政を行います。政治機構は公家的機関と武家的機関との折衷のようなものになります。しかし、後醍醐天皇は武士よりも公家を重視します。

これは武士にしてみればおもしろくありません。武士の不満は増大します。そうした政治混乱を批判したのが「二条河原落書」です。

混乱の要因は、①土地訴訟の爆発的増加による政務の停滞②土地の安堵は綸旨(天皇の意志を伝える文書)による③そうした訴訟に武士の慣習を無視④恩賞の不公平(公家に厚く、武士に薄い)⑤大内裏造営費用を地頭に賦課⑥新政の参加者(公家、武家、悪党など)それぞれの思惑の違いといったところでしょうか。

では、続きはまた次回。

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