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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

立川流  後醍醐天皇と文観 

今日は鎌倉幕府の滅亡のスライド4回目です。

鎌倉幕府の滅亡のスライドはこちらから

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

今日は少し後醍醐天皇の話を。

後醍醐天皇が隠岐に流されたところまでお話しましたが、その後隠岐を脱出し、都に戻り親政を行います。そのへんはまたくわしくお話しますが、彼の政治は延喜の治と言われる天皇親政の時代とされた醍醐天皇の治世を理想としていました。天皇の諡号や追号は普通はその死後におくられるものですが、醍醐天皇にあやかりたいということで、生前に自ら「後醍醐」の号を定めていました。

ただ、醍醐天皇のところでもお話しましたが、醍醐天皇の時代が、本当にそんなに理想的な世だったかというと、そこには問題ありだと思いますが。

また後醍醐天皇の肖像ですが、注目すべきはその衣服です。網野善彦さんが「密教の法服を身にまとい、護摩を焚いて祈祷する現職の天皇姿は異様としかいいようがない」(網野善彦著『異形の王権』、平凡社)と言ってられますが、天皇が真言密教の法服姿であるということです。

この『異形の王権』という本は「婆娑羅の風を巻き起こしつつ、聖と賎のはざまに跳梁する「異類異形」、社会と人間の奥底にひそむ力をも最大限に動員しようとする後醍醐の王権、南北朝期=大転換のさなかに噴出する〈異形〉の意味と用を探る」と説明文に書かれています。「異類異形」に関しては、後日また絵をつかいながら詳しく説明したいと思いますが、後醍醐天皇の時代はそうした人々を活躍させることができた大変興味深い時代です。

その後醍醐に対し宗教勢力を用いて支援したのが僧文観です。邪教と言われる真言立川流を駆使した怪僧とも言われる文観。立川流の教えは、智者・行者・国王・将軍・大臣・長者・父母など何れかの「髑髏」を本尊としてその魂を呼び戻すことで、全世界の知識が得られるとされています。そのために取られる手段が男女交合です。髑髏に漆を塗り歯を付け、予め打合せた美女と交わります。そしてその際の「和合水」を髑髏に塗付け、壇上に据えて山海の珍物を備えて午前一時頃に祀り、真言を千回唱えます。更に「和合水」で髑髏に曼荼羅を描き、午前六時ごろに錦の袋を七重にしていれ、以降は開いてはいけません。その上で夜は行者の肌で温め、昼は壇上に据えて祭祀を行うのを七年間続けます。そうすれば魂が呼び戻され真理を告げるというものです。

後醍醐天皇と文観は密接な関係にあったといわれていますが…



さて、7月は個人的事情により、一日おきの更新になるかもしれません。できれば毎日更新をしたいとは思っていますが、一応ご承知おきください。
毎日のぞいていただけるとうれしいです。


本日もお読みいただき、ありがとうございます。
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