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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

空海と最澄の仲たがい 

今日は、平安初期、弘仁貞観文化のスライドです。

弘仁貞観文化

弘仁貞観文化のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

平安京遷都から9世紀にかけての文化を弘仁貞観文化といいます。この時代の文化の担い手は貴族であり、また唐文化をどう消化するかということになると思います。
仏教文化でもありますが、仏教は密教的要素が強くなってきます。
奈良時代後半、道鏡の出現もあり、政治に関与した南都仏教を抑圧する意味で、平安仏教(真言宗・天台宗)は山地仏教の意味合いを持ってきます。

真言宗の祖空海と天台宗の祖最澄は、ともに遣唐使の留学生として唐に渡りました。スライドに空海・最澄の唐での求法の旅のスライドと、ふたりの書のスライドがありますが、「心が筆端まで行き届き、墨気清澄・品格高邁」といわれる最澄の書、「自由な草書風のものは最も傑出している。空海は行草の名人である」といわれる空海の書、唐に渡ったものの言葉もままならず1年もしないで帰国した最澄、このあたりからふたりの性格がかいま見られるのではないでしょうか。
空海は、唐から密教(加持祈禱を重視し現世利益を求める)を持ち帰り、真言宗を開きます。中心寺院は高野山金剛峯寺、また京都に教王護国寺(東寺)を建てます。最澄は、比叡山延暦寺を中心寺院とし、天台宗を開きます。
天台宗は顕教といわれ、経典を学び、修行で悟りを得ることを重視します。それに対し密教は、口伝主義、呪術を重視します。最澄は帰国後空海から密教の儀式を受け、天台宗も密教化していきます。

このように空海と最澄は仲も良かったようですが、ある時、経典の貸し借り等を巡って仲違いをします。2009年6月の新聞に「天台宗トップの半田孝淳座主が6月15日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺を訪れた。天台宗開祖の最澄は晩年、経典の貸し借りをめぐって空海と疎遠になったとされ、両宗派の開宗以来1200年間で初めての公式参拝となった」という記事が載りました。なんともすごい話ではありませんか。

この時代の建築は奥深い山中に建つ山岳寺院が多いため、自由な伽藍配置となっています。室生寺金堂や五重塔が有名です。五重塔ですが、室生は雨が多い地域で桧皮葺も通常の半分しかもたないので、雨風による木部の腐食を考慮して柱が太いものになっています。

仏像は、一木造(首と胴体を1本の木材から彫り出す)です。密教では呪術を重視しますから、となると一本の霊木から彫るということになるのでしょう。神護寺薬師如来像や観心寺如意輪観音像、教王護国寺講堂五大明王像、法華寺十一面観音像等が有名です。観心寺如意輪観音像や法華寺十一面観音像は翻波式(衣のひだとひだの間に小さなひだを彫り込む彫法)を使っていることもあって、なかなかなまめかしい仏像です。法華寺十一面観音像は秘仏でいつでも見ることができるわけではありませんが、唇が赤く、なんとも素晴らしい仏像です。

絵画では園城寺不動明王像(黄不動)です。ですが未公開のため、模作である曼殊院の黄不動がしばしば登場します。また密教の教義を図式化た曼荼羅も書かれます。     

空海・最澄の仲違いの話は、授業でも新聞記事を使って紹介しましたが、けっこう生徒はおもしろがったみたいです。

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