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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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平安京遷都 

今日は、平安京遷都のスライド、桓武天皇の政治を中心としたお話です。

坂上田村麻呂

平安京遷都のスライドはこちらから。

インターネットエクスプローラ9以上では、レイアウトが崩れて見えるようです。その場合は、互換モード(F12を押してブラウザモードを互換モードにする)でご覧ください。

この教材はパワーポイントで作成しています。PPTファイルの閲覧にはPowerPoint Viewerが必要です。
ダウンロードはこちらから。

称徳天皇の死後、藤原永手や百川の後押しにより光仁天皇が即位します。天武天皇のあとずっと天武系の天皇が続いていたのですが、久しぶりの天智天皇系の天皇の登場です。光仁天皇は公民の負担軽減や緊縮財政等を行いますが、高齢で即位したため、桓武天皇登場への布石という意味あいが強いです。

桓武天皇といったら平安京遷都が有名です。平城京から長岡京、そして平安京への遷都となります。奈良時代は仏教勢力が強いので、仏教勢力の排除、また同じく平城京での権門勢家の権力争いを排除するため、平城京は天武系の天皇の都でしたから、天智系にふさわしい都が必要等が遷都の理由としてあげられますが、桓武天皇即位にあたっては、 光仁天皇の皇后だった井上内親王の廃后や皇太子だった他戸親王の廃太子事件等がありましたから、そうした怨霊から逃れたいという思いも強かったと思われます。

桓武天皇がらみの血塗られた話はまだまだ続きます。一度は長岡京を都と定めますが、長岡京で造宮使藤原種継暗殺事件がおきます。それに連座して桓武天皇の皇太子早良親王(桓武天皇の弟)の廃太子、そして淡路へ流される途中の早良親王の死があります。

桓武天皇は、平安京遷都の他にも蝦夷征討など政治の大きな功績をあげることができますが、その影でこうした怨霊に悩まされていたと言われています。

蝦夷は東国に住むヤマト政権に服属しない人々を指しますが、桓武天皇は蝦夷に対して「飴と鞭」の政策をとります。すなわち帰順(天皇に従った)した蝦夷には官位を与える「飴」政策の一方で、反旗を翻す蝦夷には徹底弾圧でのぞむ「鞭」政策です。桓武天皇は、蝦夷征討に有名な征夷大将軍坂上田村麻呂を送ります。

その他にも、兵士の質が低下し、軍団の維持が難しくなってきたと考え、従来の農民から徴兵する兵役をやめ、軍事力を強化するために郡司の子弟と百姓で弓馬に秀でた者を選抜して健児制を設けたり、 班田の給付を6年ごとから12年ごとにかえたりします。

桓武天皇の後、その息子平城天皇・嵯峨天皇の登場となりますが、そこで藤原薬子の乱がおきたりします。このあたりからまた次回。


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