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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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武者絵の国芳 

 浮世絵シリーズ。今日は歌川国芳を。

 国芳は、以前にも記事にしています。 こちらをご覧ください

 『通俗水滸伝豪傑百八人』という『水滸伝』のシリーズが評判となり、“武者絵の国芳”と称されるようになります。『東都名所』などの西洋の陰影表現を取り入れた風景画にも優れており、美人画や役者絵、戯画と多くの分野に作品を残しています。

浮世絵10
 通俗水滸伝豪傑百八人之壹人_浪裡白跳張順
 画像提供東京国立博物館


 国芳はもともとは武者絵の国芳なんですけどね、最近は落書き風のポップアート、「みかけハこハゐがとんだいゝ人だ」が代表的な不思議なトリックアート系の絵の方が有名なようです(以前の記事に写真載せています)

 国芳の絵は、こちらをご覧ください。



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ゴッホも 

 浮世絵シリーズ。今日は歌川広重。

 歌川広重は、何といっても東海道五十三次で有名です。1832年、広重は幕府の行列に加わって上洛する機会を得たそうです。そして東海道五十三次絵が生まれました。遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など素晴らしいものばかりです。

浮世絵8
 東海道五十三次絵 庄野
 画像提供東京国立博物館


 広重の絵には鮮やかな青色や藍色が多く見られます。それはヒロシゲブルーと呼ばれ、ゴッホなどの欧州の画家にも影響を与えたと言われています。なかでもゴッホは、広重の名所江戸百景を模写しました。「大はしあたけの夕立」です。ゴッホは広重の画を真似る事でその構図、色彩感覚、線描画法といった描画技法を学んだと言われています。

浮世絵9
 名所江戸百景 大はしあたけの夕立
 画像提供東京国立博物館



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小布施の北斎 

 今日も北斎。

 葛飾北斎は風景画や春画、奇想画にいたる多岐の浮世絵を描いています。晩年になると肉筆画を多く描いているようです。

 富嶽三十六景。「富嶽」は富士山のことであり、各地から望む富士山の景観を描いています。そして有名なのがこれでしょう。

浮世絵7
 神奈川沖浪裏
 画像提供東京国立博物館

 次に百物語。百物語を画題として妖怪を描いた化物絵です。四谷怪談と皿屋敷を扱った2図が特に有名です。

 百物語 こはだ小平次

 北斎漫画。初めは絵手本(画学生のための絵の教本)として発表されましたが、評判を呼び、職人の意匠手引書などにも用いられることとなって広く普及しました。さまざまな職業の人から道具類、ふざけた顔、妖怪、さらには遠近法まで、多岐にわたる内容が含まれています。

 信州小布施には肉筆画が残っています。小布施を生地とし豪農で陽明学等学問にも通じた高井鴻山は、江戸で北斎と知り合い、門下となっています。この縁によって1842年、北斎が小布施の鴻山屋敷を訪れました。鴻山は北斎を厚遇しました。逗留中は鴻山の全面的援助のもとで肉筆画を手がけました。このとき描かれたのが、小布施の町の祭り屋台の天井絵であり、岩松院の天井絵です。岩松院の八方睨み鳳凰図』。その大間天井に描かれた巨大な1羽の鳳凰図です。しかしこれを本当に北斎が描いたのかどうかは疑問もあるようですが、21畳敷の天井一面を使って描かれた鳳凰は、畳に寝転ばないと全体が見渡せないほどに大きいそうです。この大作は、昨日書いた「北斎殺人事件」で知ったのですが、寝転がってみてみたいものです。



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北斎殺人事件 

 今日はまた浮世絵に戻りまして、葛飾北斎を。北斎の絵はもちろん素晴らしいのですが、その他に逸話もたくさん残している人なので、まずはそちらから。彼は頻繁に改号していました。使用した号は「春朗」「北斎」「宗理」「可侯」「辰斎」「辰政」「戴斗」「為一」「画狂人」「画狂老人」「卍」などと、それらの組み合わせです。現在広く知られている「北斎」は、「北斎辰政」の略称で、これは北極星および北斗七星を神格化した日蓮宗系の北辰妙見菩薩信仰にちなんでいるそうです。また「北斎改め為一」あるいは「北斎改め戴斗」などというかたちで使われていたこともあるようです。彼の改号が多いのは、弟子に号を譲ることを収入の一手段としていたためとする説があります。そうしたことが、北斎の贋作を見抜くのを難しくしているとも言われます。

 また北斎は、93回に上るとされる転居の多さでも有名です。75歳の時には既に56回に達していたらしいです。北斎が転居を繰り返したのは、彼自身と、出戻り娘のお栄とが、絵を描くことのみに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していたからだとも云われています。また、北斎は生涯百回引っ越すことを目標とした百庵という人物に倣い、自分も百回引っ越してから死にたいと言ったという説もあるそうです。

 まあこんなところから、北斎隠密説なんていうのも生まれてくるのでしょうね。小説家の高橋克彦さんは「北斎殺人事件」のなかで、この隠密説を唱えています。まあ、隠密説はどうかわかりませんが、なかなか面白い本ですよ。

 では、次回は北斎の絵を。


 今日3月11日。東日本大震災から3年。復興がすすむことと、亡くなられた方のご冥福をお祈りしたいと思います。



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歩くのは大変ですが… 

修学院9

 修学院離宮、広い敷地を案内人の方と一緒に歩きます。3キロほど歩きます。アップダウンもあります。私がここを訪れたのはもう20年ほど前になりますが、真夏の暑い時期で、なおかつ少し体の具合を悪くしているときでしたので、けっこう疲れたのを覚えています。

修学院10

 この旅行の前に、後水尾天皇関係の小説はないものかと思い、隆慶一郎さんの「花と火の帝」を読みました。荒唐無稽の話ですが、天皇の駕輿丁も務めたといわれる八瀬童子なども出てきて、面白かったです。でも、作者がお亡くなりになって、未完なのが残念です。

修学院11

 後水尾天皇という方にも魅力がありますし、自然をうまく使った修学院離宮。予約をしなければならないので、少し面倒ですが、お薦めの場所かと思います。



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