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退職教師の日本史授業

パワーポイントを用いて作った教材(主に日本史)を紹介します。その他、退職後の生活あれこれも。

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鳴滝塾、適塾 

 化政文化、今日は洋学について。洋学については、蛮社の獄などで少し触れてきましたが。

 8代将軍吉宗は、漢訳西洋学術書の輸入を解禁し、青木昆陽による本格的な蘭語研究にはじまる蘭学勃興への道を開きました。18世紀以降杉田玄白・前野良沢らによる蘭訳解剖書「解体新書」、志筑忠雄の「暦象新書」による地動説の紹介など、天文・暦学などに著しい成果がありました。そして西洋科学技術に対する驚きは、そのものだけではなく、科学の背景にある西洋諸国の社会や政治体制への興味となっていきます。西洋諸国への興味は、蘭学だけではあきたらず、英仏をも含む洋学へと進んでいきます。時は欧米列強のアジア進出、またそれに絡み日本の国防が問題となっている時期です。洋学は政治とのかかわりを避けることはできません。

 蘭学・洋学ということで、シーボルトについて少しふれたいと思います。シーボルトは、鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医として来日します。彼はオランダ人ではなくドイツ人です。出島内において開業の後、1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、西洋医学(蘭学)教育を行います。日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義しました。高野長英・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介らがその弟子です。彼は出島外に居住は許されず、週1回程度通塾して、医学教授と診察を行ったそうです。それ以外の日は、塾の寄宿生らが診療活動を行っていたようです。

 蘭学の私塾をもう一つ。緒方洪庵が大坂に開いた適塾です。蘭学読解よりも医学中心に自然科学を学習しました。福沢諭吉、橋本佐内、大村益次郎らの人材が出ました。


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寺子屋 

 今日は寺子屋のお話を。

 近世は、教育が飛躍的に発展した時代だと言われます。それに大きな役割を果たしたのが寺子屋でしょう。寺子屋での学習は手習い(習字)が中心となります。寺子たちは、各々自分の机で、師匠が書き与えた手本や往来物(手習い用寺子屋教科書)を、それぞれが個別に手習います。清書を師匠に見せて添削を受け、合格したら次にすすみます。寺入り(入学)、下山(退学)の年齢は一定ではなく、通常数え年8歳前後から数年間程度学ぶものが多かったようです。一斉教授ではなく個別学習が原則でしたから、腕白盛りの子どもたちは、長時間静かに学習を続けることは大変だったでしょう。

 江戸時代、領主による農村支配は、文書や法度(はっと)によって行われます。村の役人層は年貢の徴収や、上からの触書や法度などの伝達に、高度な文書処理能力や数学計算の能力が必要でした。また農民たちも金肥や農具の購入、作物の商品化によって貨幣経済が浸透し、文字や計算の能力が必要となります。都市の商工業者にも、貨幣経済の浸透とともに読み書き計算の能力が不可欠となります。

 近世の成立とともに寺子屋が出現するのは、必然的なことだったようです。

 江戸時代後半、村方騒動が頻発します。村方騒動は、農民が村役人の不正も糾弾しますから、不正を見破るだけの高い読み書き算数の能力が必要となります。寺子屋での学習が、こうした力もつけていったのでしょう。

 

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たまずさが怨霊〜 

 化政文化、今日は曲亭馬琴「南総里見八犬伝」を。
 ますはあらすじから。

 安房の国守里見義実は、安西景連に攻められて苦戦におちいっていたとき、戯れに飼犬八房(やつふさ)に敵将の首をとるならば娘伏姫を与えようと約束をしました。その夜、八房は敵将景連の首をくわえてもどりました。伏姫は父の約束を守って八房とともに、富山の洞窟にこもりました。2年後、姫を救出しようとして金碗孝徳の放った銃弾は八房とともに伏姫をもうちたおしました。伏姫が身の潔白を証明しようとして腹を切ると、白気が立ち、八つの玉が八方に飛び散りました。その八つの玉には仁義礼智忠信孝悌の文字が一字ずつ浮き出て、それぞれ一つの玉をもった八犬士が出現することになりました。孝徳は出家して﹅大(ちゅうだい)と号し、玉を求めて遍歴をはじめました。武藏国大塚の郷士の子犬塚信乃(しの)は父の遺言によって宝刀村雨丸(むらさめまる)を守護するうち、不思議の縁にひかれて、同じ八犬士の犬川荘介、犬飼現八、犬田小文吾、犬江親兵衛、犬山道節などとめぐりあいます。下野国庚申山の奥ノ院にわけいった犬飼現八は山猫を退治して犬村大角を知ります。稀代の毒婦船虫や妖術使いの妙椿(みょうちん)らが事あるごとに犬士を苦しめましたが、犬士らの団結した力はかの女たちを退治することができました。犬坂毛野を加えた八犬士は安房の富山で伏姫の霊から特別教育を受けた犬江親兵衛を中心に結集し、里見家が関東管領足利定正と戦った際には里見家の軍師や将として大功をたてました。里見家の八人の姫と結ばれた八犬士は富山に入り、仙人となります。

 八犬伝、私と同年配の方々は、NHKの人形劇でおなじみですよね。「玉梓(たまずさ)が怨霊〜」のフレーズは今でもよく覚えていますよ。

 八犬伝は里見家の遺臣たちが数々の苦難をくぐりぬけ、関東の地に理想の王国を建設する話です。その王国は仁義礼智忠信孝悌の徳がいきわたる秩序の国です。現実の政治が腐食している化政期、馬琴は想像力で現実の政治を補完し、失われた秩序を虚構によって回復しようとしたと言えるようです。



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弥次さん喜多さんはあやしい関係 

 化政文化、続きまして今日は「東海道中膝栗毛」のお話です。これもみなさんご存じのものではありますが、あらすじから。

 江戸は神田八丁堀に住んで漆器の絵付けをしながら気楽な毎日をおくっていた栃面屋弥次郎兵衛は、江戸っ子を自称していますが、もともとは駿河の生まれ。旅役者の鼻之助、今は実名の喜多八で手代奉公をしている男とこの弥次郎兵衛はあやしい関係で結ばれています。喜多八が奉公先の女中としでかした不始末がもつれ二人は江戸にいにくくなり、この際運直しとして伊勢参宮を志しました。酒屋・米屋の借金もそのままに、道連れの少年をからかったつもりがからかわれて、その日の泊まりは戸塚でした。宿場名物の大睾丸の乞食を得意の狂歌に詠み、翌日は小田原泊まり。宿の五右衛門風呂を下駄で踏み抜くという大失敗をやらかした喜多八、これを皮切りに、二人は競争するように失敗を繰り返していきます。箱根路を三島に下る途中、連れになった男は胡麻の蠅、同宿した三島で路用金を盗まれて大弱り。しかし、楽天家の二人は蒲原の木賃宿で巡礼娘に夜這いをかけます。府中にたどりつき、知人から金を借りた二人はこわいもの知らずにさっそく安倍川の遊郭に繰り出しました。塩井川ではだましたつもりの座頭に川へ放り出され、赤坂では狐に化かされて散々な目にあいます。たどりついた宇治山田では自分の宿を忘れ、伏見からの三十石船で大坂へ出るつもりが間違って京へ戻り、大原女に梯子を買わされます。大坂ではまたもや路用を使い果たしますが、土地の豪商河内屋四郎兵衛に救われます。

 東海道中膝栗毛は好評をはくし、この後「続膝栗毛」が書き継がれ、旅は金毘羅宮・宮島、木曽街道・善光寺、草津を経て江戸へと書き継がれます。21年間書き継がれました。

 東海道中膝栗毛は二人が旅をする中で、滑稽・遊び・ナンセンスなどを生みますが、これは目新しいものではありません。しかし、近代にも通じる新しさももっているといわれます。ひとつは性的人間の創造ということだそうです。二人は男色の関係、また旅先でも二人は好色な行動をします。古典の世界には光源氏や在原業平のような男性もいますが、彼らの性的行動から精神性を抜き取り、性欲の充足のみにがんばる人物に仕立てたのが弥次さん喜多さんのようです。このへんがこの作品の新しい味だとか。

 膝栗毛は子どもの頃から目にしてきた本ですが、二人が男色の関係であるとか、精神性を抜きにした性欲の充足であるとか、見方を変えると、膝栗毛もちがって見えてきます。



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恨めしや 

 さて、今日から何回かは、化政文化をお届けしたいと思います。ここはスライドがありませんので、ご容赦を。

 化政文化を代表するものとして十返舎一九の「東海道中膝栗毛」と鶴屋南北の「東海道四谷怪談」があります。今日はまず「東海道四谷怪談」のお話を。四谷怪談は皆さんご存じだとは思いますが、まずはあらすじから。

 塩冶家浪人民谷伊右衛門(たみやいえもん)は、妻お岩の父四谷左門をだまし討ちにしたうえ、その事実を隠してお岩に敵討ちの助太刀の約束をします。お岩の妹お袖に横恋慕している直助権兵衛は、お袖の夫佐藤与茂七と誤って、自分の旧主の子庄三郎を殺しました。雑司ヶ谷四谷町に浪宅をかまえた伊右衛門は、隣家の高家重臣伊藤喜兵衛の孫お梅を妻として貧乏ぐらしから脱出しようと考え、邪魔になる妻お岩に姦通の罪をかぶせて追い出そうとします。伊藤喜兵衛も孫かわいさから、面体のくずれる毒薬をいつわってお岩に飲ませました。恨み死にしたお岩と無実の罪をきせて惨殺した下男小仏小平を、戸板の表裏に釘づけにしたうえで、伊右衛門はその戸板を川へ流しました。お岩と小平の怨霊は、そののち伊右衛門に激しく祟ります。十万坪陰亡堀で釣りをしている伊右衛門の前に戸板が流れより、引き上げるとお岩の怨霊が出現し、裏返すと小平の無念の形相に変わります。一方、夫与茂七が人手にかかって死んだと信じているお袖は、助太刀を条件に直助と同衾しますが、その直後に与茂七が訪れてき、自分の過ちに気がついたお袖は死にます。直助もまた、お袖が実の妹であると知り自殺します。お岩と小平の怨霊に追い詰められた伊右衛門は、しだいに錯乱状態になっていきました。蛇山庵室で仏の力に頼って苦しみから逃れようとした伊右衛門ですが、夢の中にお岩の死霊があらわれ、半狂乱のうちに佐藤与茂七に討たれて死にます。

 南北の作品には多くの亡霊が出現します。かれら他界の住人が、現世の人間の親しい隣人として、気軽にこの世にあらわれます。両界の交流は自由自在なようです。

 
 爛熟といわれる化政期ですが、既成の秩序は崩れつつあり、でもまだ新しい秩序は生まれていない、そんな方向性を欠いたなかで、大鍋のなかのように泡立っている、その中から多様なものが生まれる、そんな化政文化です。

 四谷怪談の一つの面白味は伊右衛門のような出世願望型人間があらわれたことです。出世のためにどんな悪も辞さない伊右衛門のような人間は、近代に呼応しているともいえるようです。

 四谷怪談は歌舞伎でおなじみです。お岩小平の戸板の場面、見てみたいですね。



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